新潟をはじめ、全国に笑いと感動をお届けします!

バルーンパフォーマンスコンテストの歴史について

2019/05/14
 
この記事を書いている人 - WRITER -

バルーンパフォーマンスは新潟から始まった

私フージーがバルーンパフォーマーとして駆け出しの20代の頃、バルーン装飾や大道芸の大会はありましたが、まだバルーンパフォーマンスを評価するコンテストはありませんでした。

2000年前後はまだバルーンアート黎明期の当時の新潟にはもちろんプロを目指す人などいるわけもなく、趣味でやる人が数人とお店が2店舗あるくらい。田舎でどうしてもプロとして仕事を増やすには、コンテストでの受賞歴がどうしても欲しかった私は、まずバルーン装飾メインの大会である❝JBAN❞(ジャパンバルーンアーティストネットワーク)という大会のファイナルパーティーで始まったばかりのフィギュアコンテスト(制限10分で作品を製作)に出場し始め、第8回大会でやっと準優勝をすることができました。その時の作品は、氷山に登ったペンギンでした。

ツイスターズが2003年からスタートした

その頃、もう1つのバルーン全国大会が始まり、それがツイスターズ(細長いバルーンをメインとした)でした。第1回(東京)から参加し、第2回(小牧)でワンバルーンコンテスト(1本で作る)でしゃちほこを作り準優勝。第3回(大阪)ではツイストフィフティーン(15分で製作)で蛍を作って準優勝することができました。

そして2007年にようやくバルーンの世界大会(アメリカ・アリゾナ州)で❝ダイヤモンドジャム❞という大会のステージコンテストに出場する機会がありました。10分ほどの制限時間でお客様投票だったと記憶してます。ウケるために侍の格好で、英語しゃべらずあえてクールにやってみたら、予想以上に反応が良くて準優勝でした。大会中はバルーンサムライ!と海外の方々から声をかけていただいて、バルーンアートで言語をこえて世界の方々と繋がることができました。その大会はもうないのですが、今までバルーンやっていて1番嬉しかった瞬間でした。

もう一つ2007年はバルーン人生において大きな出来事がありました。それは第4回のツイスターズが私の地元新潟で開催されたことです。

 

 

 

毎回各県で開催なのですが、地元でバルーンの大会をなんとかやりたいという私の夢が現実になりまして、当時のNAMARA事務所と大道芸サークルのメンバーに協力してもらって、日本の和をテーマにNST夢ホールというテレビ局内が会場でした。大会ディレクターという立場でしたので、特権として大会ゲストやコンテストを決めることができた私は、この大会で初めてステージ部門コンテストを実施しました。制限時間5分でバルーンを使ったパフォーマンスを行うというもので、裏方でずっと感動感激して観ていました。

その時の優勝はスマイルパフォーマーQちゃん、2位はSui京さんでしたね。私はやっとパフォーマーへスポットがあたるコンテストが生まれたということで、国内のバルーンパフォーマンスの技術地位向上に少なからず貢献していると思っています。もちろんパフォーマンスコンテストは現在も続いています。http://www.twistballoon.jp/twisters2007/

 

今はお笑いの吉本のバルーン芸人さんや、マジシャンなど他のジャンルの方がいて、魅せ方やオリジナリティ重視の時代、バルーンだけでは厳しくハイレベルになっています。ちなみに私は過去パフォーマンスコンテストは、所沢大会と沼津大会で3位を2回とっています。ツイスターズ新潟は検索で当時の様子が見れますし、ツイスターズの過去の大会なんかもチェックしてもらうと、バルーンの歴史が分かりますよ。

今年の全国大会は尼崎!

今年のツイスターズ2019は尼崎市開催で、僕もスタッフとして参加します、全国の方と交流できるの楽しみですね。

http://twistballoon.jp/twisters2019/

この記事を書いている人 - WRITER -

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© バルーンエンターテイナーfoozy , 2019 All Rights Reserved.